公開日 2008年8月22日 最終更新日 2008年8月22日 by JE2UFF_Toshi
ホテルに戻ってから、別のネット検索で皆さんのBlogを読むのを少々さぼっている間に、なんとビックリのニュースが有ったのですね。
JG7PSJの「がつ~ん!と呼んでみよう♪」の昨日の記事を見て、思わずえ~となりました。内容は「BCL界の巨星逝く」、あのBCLの神様的存在でした山田耕嗣氏が癌の為にお亡くなりになられ、去年67歳という若さで有ったと言うこと。
当局がアマチュア無線を始める前に到来したBCLブーム。JLAとか日本BCL連盟とかの活動が始まり、BCL雑誌が次々と発行されラジオの進化も著しい時期でもありました。
そのBCL世界の中で何時も中心におられ、当時あこがれだったデジタル表示が可能な高級受信機を笑顔で操作する氏の笑顔が思い浮かびます。(残念ながら受信機の機種は何か忘れました)
最初はやはりラジオの製作に載っていた氏のユーザーレポートや受信レポート、いつかは聞いてみたい等と思いながら思いをはせた時代でした。
TRIOがキットでケンクラフトQR-666を発売し、ラジオの世界では10/2KHz直読といううたい文句でSONY ICF-5900が発売されました。当局もこのICF-5900からラジオ小僧になったのです。その後、ナショナルがクーガーシリーズを発売しBCL業界に拍車がかかり、ドレークもSSR-1と言うBCL用の受信機を発売した時期でしたね。
テレビでラジオオーストラリアの笑いカワセミの映像が流れたり、本当にBCLに熱狂した時代でした。その後、当方はアマチュア無線の世界にのめり込みBCLがどうなったかは知るよしも有りませんでしたが、未だ暇なときにはゼネカバ受信でラジオを聞く事は続けています。
日本のBCLを切り開いた氏の功績は非常に大きかったと思います。多くの海外放送で日本語放送が行われ、日本からの受信レポートが届いたかと思います。しかし、時は流れメジャーだった日本語放送(ドイチェベレ、HCJB等)が日本語放送を停止すると同時にBCLの衰退が始まったのでしょうか、それともBCL世界の衰退が始まり日本語放送が終了していったのでしょうか、それは当局には解りません。
しかし、今の自分の基礎になっている事には間違いなく、眠い目をこすりながら毎時流れるインターバルシグナルとIDに耳を澄ませた事が、今のDXにつながっているのだと思います。当時収集したベリカードは今もスクラップされて保管されております。住所が変わる前までは、半期毎にARIから雑誌が送られてきたり、ラジオ・ハバナ・キューバからは毎年カストロ首相のカレンダーが送られてきたりしてきました。
氏の功績を称え、謹んでお悔やみを申し上げます。